【悪役】に理由と目的を見出す時
結局は、どちら側の立場にたっているかによって
正義も悪もひっくり返ってしまう。
大人数に迷惑をかけたほうが悪なのか。
たった一人でもどん底に突き落とした方が悪なのか。
孤児になったクルエラに手を差し伸べる大人がいたらどうなっていたか。
ファッションという自己表現は、誰にも気づかれない闇の世界でひっそりと生きてきたクルエラにとって、堂々と人生を歩いて、自分はこういう人間だと表現していくための手段。
学校生活になじめない頃から、自分を表現したい欲が強かった。
まっとうな道を歩きながら、ファッションの世界でも活躍するということは可能だったのだろうか。
それともファッションの才能は、自分の力で生き抜くしかない不遇の日々によって磨かれたものか。
バロネスに復習すると決めた日。
クルエラに「サイコ」のスイッチが入った。
復讐とは、襲いかかった悲劇に押しつぶされないための、
自己を守る戦いでもある。
傷つけられてそのまま倒れるのではなく、自分を傷つけた相手に対して行動を起こすことで、前に進む力が生まれる。
多かれ少なかれ、対人間、対状況、いろんな形で人は復讐することがある。
自己が張り裂けそうな悲劇に見舞われた時、歯を食いしばって立ち向かうことを決めた人。
それが【悪役】なのか【ヒーロー】なのかは受け取る側の問題だ。
クルエラのように立ち上がれ
少なくとも、クルエラは怠惰ではない。
自身の果たすべき目的「復讐」のために
遊ぶ暇もなくその計画に時間を費やし、手間ひまかけて準備をして
逃げることなく、集中してやり遂げる。
その真面目さに、有限実行力に、やはり尊敬を抱いてしまう。
逆境が襲いかかったとしても、めそめそ打ちひしがれてなんかいない
流す涙さえ、全て感情を出し切って、再び立ち上がるため。
唇に不気味な笑みをたたえて、成すべきことをその目に捉えるクルエラは、凛として歩き出す。
その姿に、私もまた、悲劇に潰されるよりは時に悪役になってでも、
立ち上がってみせよう、そう誓うのだった。